滲む


風薫る5月です。

最近は競馬に行きました。

案の定ボロクソに負けて行くんじゃなかったとかシャワーを浴びながら奇声をあげることになるのですがやっぱりドキドキするんですよね、競馬は。

100円200円賭けるだけですごくワクワクドキドキしますしその興奮を買いに行ってるんだと思います。


お金が欲しいってよりかは気兼ねなく使える「あぶく銭」が欲しいんだろうなと自己分析をしてます。

ロクに当たった試しがないけど。

そしていろいろ考えを巡らせ外した馬がまんまと抜け出してけっこうな配当がついたときはもう本当に死にたくなるしつかめるはずだったチャンスをつかむことができなかった逃した魚は大きかった感がヤバくてつかめたはずの未来で売店のコロッケをもぐもぐ食べてるパラレルワールドに生きる自分を想像しちゃったりして心底イヤになります。

ギャンブルは死ぬ練習だ、とユリイカ福本伸行さんが語ってましたけど言い得て妙だなと感じました。

ところで競馬場の売店の食べ物はチープな感じがしてたまらなくおいしいんですよね。

幼いころ父親に連れられていった中京競馬場で食べた焼うどんの味が忘れられなくて、ハタチになって競馬場で焼うどんを食べたんですけどあの味にたどり着くことはできなくて、もう二度と手に入らない味を追っかけ続けるファナティックな感じになってます。

競馬場グルメとかあるしそういう売り出し方もしてるみたいなので競馬場では競馬するだけの場じゃないってことを強調しておきたいです。

競馬場で買ってもらった馬のボールペンで幼少期は勉強してたのでそれなりの思い出があります。あの馬の目のところに数字のリールがあって、トリガーを押すとリールが回って1-15みたいに馬連の数字が出るんですよね。
こないだターフィーショップにいったらあのコミカルな馬のボールペンはどこにも見当たらなくて、少しさみしくなりました。

そういう思い出があるから一概に競馬やってる人はクズだとかそういう決めつけは良くないと思うしそういう決めつけする人は嫌いですね。

競馬をただのギャンブルとしか捉えられない思考の閉塞、想像の貧困さに唖然とするし走る馬のかっこよさを死ぬまで理解できないんだろうなとか思うとかわいそうになってきます。死んでほしい。

日本の名随筆集に競馬という枠で数えられてるあたり競馬はギャンブルでなく物語装置なんだなと思います。

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だから物語を綴りに毎週のように競馬場へと足を運ぶのだと思います。

そこには機械仕掛けの神は存在せず跳ね馬のように奔放な物語が存在します。

競馬のそういうところに人は魅せられるのでしょう。

一緒に行く人がいなくてだいたい1人でいってボロクソに負けて帰るので物語の登場人物になってくれる人がいたらもっと楽しいはずですきっと。

負けたら防衛本能的にいろんなものを切り詰めはじめます。

生協で買ったこのクッキーは50円でとってもボリュームがあり強すぎるのでこれを食べて命をつないでいきます。

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がんばります。