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本の感想

嗤う日本のナショナリズム 序章の感想を書きました。

ゼミのコメント提出のやつです。



この本に通底しているのは皮肉という概念だ。サーッと斜め読みしたが非常に興味深い内容だった。とりあえずは序章を読んでの感想を述べる。
冒頭から『電車男』の話が始まる。自分が初めて『電車男』に触れたのは中学生のときで、本をパラパラとめくってその独特なエクリチュールになんだこれはと衝撃を受けたことを覚えている。(藁)とか香具師などの符丁はいまや死語となっているが当時の自分にとっては最先端で斬新だった。学校でwebページを作成するという授業があったときにそういった用語を意味もなく使ってみたり、本に登場したAAをチマチマ変換してデスクトップに打ち込んだりして満足していた。周りはせいぜい顔文字を使うのが関の山で、ネットスラングやAAを使いこなす自分はお前らよりすごいんだぜと「嗤って」いた。そのときちょうど中学二年生だったのでまさに厨二病と言える現象である。2ちゃんねるのしたたかな皮肉に感化されたのか、密かにアイロニー・ゲームを始めたヒネた中学生だった。そうした経験も踏まえて本書の「2ちゃんねる化する社会」というのはなんとなく納得できるなと思った。
現に今大学でもSNSでも「嗤い」のアイロニー・ゲームを見つけることができる。ある授業で産業社会学部のイメージを訊かれた学生が、産社の学生は教養がなくて話が通じないとか得意満面、渾身のドヤ顔で言い放っているのを目の当たりにして、ぼくは頭いいです的自己顕示欲まみれのクソハングリー野郎がまだ生きてたんだと驚くとともにそういうやつこそ馬鹿に疎まれ嫉まれ馬鹿に囲まれて刺されるんだから黙ってればいいのにとか思って膨大な熱量のアイロニーを目撃してわくわくしたことがあった。また、日常の延長であるSNSには、いわゆるオタクとリア充アイロニー・ゲームが認められる。オタクはリア充を嗤うような文章を投稿し、リア充もまた然りである。オタクはリア充たちのことを「ウェイ」と呼称し、リア充は彼らを「キモオタ」と呼称する。そういった淀んだアイロニー・ポリティクスは見ていてわくわくするし、いいぞ、もっとやれ、と思ったりするのでこの本を読み込んでそれらアイロニー・ゲームの対岸の火事的楽しみ方を会得したい。


書いてて楽しくなったのでこっちに載せました。

オタクとリア充・ヤンキーのせめぎあいってめちゃくちゃおもしろいですよね。