這い寄る混沌再び
呼んでもないのに飛び出てジャジャジャジャーンって感じでそいつはごはんを食べてる私の横をゼンマイを最大まで巻いたチョロQのような速さで通り過ぎたんですよ。
「気分は形而上」は父親がよく読んでいたのでゴキちゃんはよく覚えています。
ごはんを食べてるときは本能的に諸々が弛緩しきっているので自らの身に危険が及ぶなんて思ってはいないんです。
そのとき私は本当に怯えて本当に恐怖しました。
私の部屋は狭いのでテーブルなんてものがなくホームセンターに売ってる踏み台に無印良品に売ってるランチョンマットを敷いてみたというたいへんアンデコラティブなテーブルをこさえて地べたに座って食事をとっているんですがその最中でした。
一瞬視界の端を黒いものがよぎったんです。
なんだろうと目を凝らす前に身体が勝手に回避行動をとりました。
ゴキブリでした。
また出たかと思ったんですが存在しているものは仕方ない、私は目の前の危険を排除することにしました。
あいつらはとにかく素早い。
そんなとこに隙間あったのかよってところに素早く隠れてしまう。
本棚の奥に逃げ込まれたときはもう終わった(俺の命が)と思って全てをあきらめてイッテQスペシャルを見ていたのですがしばらくすると本棚からゆっくりと這い出てきたのです。
なぜ這い出てくるのか、私が寝るのを待って唇から水分摂取したりギザギザした脚で寝首を掻けばいいのではないか。
そういったセオリーを無視して軽はずみに再登場したゴキブリの行動を私は皆目理解できませんでした。
しかしここで私はゴキブリの思いを汲み取ろうと努力をしました。
なぜ死を賭して私の前に姿を現わす?
どうして?
これは私の希望的観測ですが、あのゴキブリは私の友達になってくれようとしてくれたのではないでしょうか。
壊れたおもちゃのように何の脈絡もなく突然奇声をあげながら生活する私を見かねて埃っぽい隙間の闇より這い出てきてくれたのかもしれません。
最近は新しいのが出たみたいです。
そう考えると逃げるゴキブリの行動も辻褄が合います。
放置してあったニンテンドー64の下に隠れたのは一緒にゲームをしてあげたかったのかもしれませんしテレビの裏を這い回ったのはテレビのサイズが小さいのが不満でいつも奇声をあげている私にもっと大きいテレビを買えと背中を押してくれたのかもしれません。
ああ、なんたること。
私はゴキブリをゴキブリとしか認識せず彼のその気持ちに気付いてあげようともしませんでした。
私は友達を殺しました。
台所の中性洗剤をかけて。
仰向けになってトゲトゲの脚を千切れんばかりに振り回し彼はもがいていました。
その6本の脚のそれぞれが私に差し伸べられた救済と友好の握手の手だとも知らずに。
その必死にもがく姿におぞましさを感じた私はそれを見ないように上から読み終えた雑誌をかぶせ、辞書を高いところから落として、彼を殺害しました。
早く楽にしてあげたかったから、という言い訳は今ならできますがそのときの私は醜いゴキブリを排除しようとするだけのけだものでした。
私は友達を殺しました。
彼は下腹部を破裂させ茶褐色の粘ついた臓物を撒き散らし、厚みを失って死んでいました。
その6本の脚はもがいたときに生まれた中性洗剤の泡に覆われていました。
皮肉な死に化粧です。
その無様な哀しい死体はティッシュに包まれて雑多なゴミ箱に放り込まれ彼はただのゴミに姿を変えました。
掃除していると彼の千切れた脚がそこにありました。
必死にもがいているときに取れたのでしょうか、辞書のインテリぶった質量で潰れたときに千切れたのでしょうか。
私はその脚をティッシュで包み彼の亡骸のそばに置いてあげました。
哀しく、切ない不具の亡骸は痛みを覚えているのでしょうか。
それはわかりません。
ただ彼が私と友達になろうとしてくれたのであればそれを裏切ってしまった私はとても許されざる存在です。
友好的な態度で飛び込んだのに刃を向けられ死ぬ、今際の彼の思いを想像すると身が千切れる思いです。
思うに、ゴキブリほど明確に殺意を向けられる虫はいないのではないでしょうか。
蚊は血を吸ったりと人間に危害を加えますがゴキブリは出現することそれ自体が禁忌だとして、何もしていないのに、もしくは何かをする前に全力で排除されます。
そのゴキブリに対しての脊椎反射的な殺意を今一度考えなおすことが必要なのではないでしょうか。
須賀原洋行作品のゴキちゃんのように友好的なゴキブリだってちゃんといるはずです。
今日私の部屋に登場したゴキブリは私がゲームを好きなことを知っていてゲームに姿をひそめた、それが証拠です。
切なく哀しい、ゴキブリと私しか知らないドラマがそこに確かに存在したのです。
明日ホウ酸団子を買ってこようと思います。