Twitterだと思っていることを散文的に書き散らすとタイムラインがそれを拾ってテキトーに流してくれるからその分気楽なんですけどこういうブログは自分の体験や感想をはっきりと固定するということをまず念頭に置いて文章を書くので羅列にこだわったりしちゃってすごく書くのに時間と労力を使ってくたびれます。
自分でもだからどうなんだって思うんですけど別にどうだっていいです。
友達と2週間ほど台湾、タイ、インド、スリランカとアジア圏を旅行してきました。
車に轢かれたりしたんですけどメチャクチャいい経験になりました。
以下つらつらとその体験を文章化していきます。
8月の終わりごろに日本を出発しました。
台湾
まずは台湾へと向かいました。
台湾には1度行ったことがあるので異国感はそんなになかったのですがやっぱり日本よりオリエンタルでした。
飛行機を降りたらなんかにおいが違うし自分が理解できない言語空間に押し込まれるしで面食らいます。
日本円を台湾のお金に両替すると福沢諭吉が中国の偉い人に姿を変えました。
空港からはバスで台北市内へと向かいます。
人がものすごい並んでいたのでみんなバス大好きかよって思いました。
バスに乗りました。
窓の外を流れる景色は読めない漢字でいっぱいでした。
なんて読むのかわからない駅に到着しました。
台湾のメインターミナルでどこでも行ける駅らしいんですがどこへも行けない気がしました。
街並みを感じようということで駅を出て周辺を散策します。
お腹が空いたので出店で安いなにかを指さして注文するとパンの耳?をカリカリに揚げて砂糖をまぶしたやつを芯して甘いもち米で握ったすげぇボリューミーなハイカロリーおにぎりが出てきました。
この読めない漢字のやつはそういう揚げた甘いお菓子を指すんだー って感心していたら店員がおもむろにそれを芯にしておにぎりをこしらえはじめたのでもう大混乱でした。
友達は豆漿? を注文して豆乳が出てきたのですごくうらやましかったです。
写真撮ろうと思いましたがビジュアルが食いしんぼうのおにぎりそのもので全然フォトジェニックじゃなかったので写真は撮っていません。
メニューの豆漿の隣にあるやつを注文したら食べられるはずです。
そのあと公園に行ったりしました。
リスがいたりして雰囲気がよかったです。
公園にあった足つぼの説明を読んだりでこぼこの道を裸足で歩いたりして悶えてるうちに日が暮れてきたので市場に行きました。
おびただしい量のスイカが並んでいて圧倒されました。
夕暮れの市場はこんな感じです。
現実を仮想現実で喩えるのもどうかと思うんですがなんかバイオ6のマーセナリーズのターチィメインストリートみたいだなと思いました。
夜は友達の友達に晩ごはんをごちそうしてもらったりしました。
いっしょに行った友達は台湾で友達に会う予定だったらしく自分もそれを承知してはいたのですがまさか自分までこうして高そうなごはんをごちそうしてもらうとは頭があがりません。
友達よりたくさん食べました。
ごちそうしてくださった方に夜市を案内してもらいました。
中国語が堪能ですごかったです。
その日の宿をまだ決めてなかったので宿の斡旋をしてもらいました。
まだ決めてなかったの!?
と驚かれましたがそういや決めてなかったわと自分たちも驚きました。
さんざん迷ってゲストハウスにたどり着きました。
オーナーが日本人で泊まっている人も日本人がほとんどでした。
部屋はひとつの部屋にいくつか2段ベッドが並んでいるドミトリーでした。
同じ旅行者ということでシンパシーを感じるのか同室の人に話しかけられるんですが自分はそういうのすごく苦手で最低限の会話はするのですが嫌なので疲れました。
あたかも予定調和のように会話をして、当たり前のように仲良くなって、異国の地で出会った日本人同士ということもあって吊り橋効果的に同調してしまうような気持ちはわかるのですが露骨にしなだれかかって来られるとなんか気持ち悪いです。
友達はそういうシチュエーションをおおいに楽しんでいました。
人との出会いは旅行の醍醐味ですよね。
自分はめんどくさいんですけど。
Facebookを教えあったりしていました。
つながり乞食という言葉が喉につかえました。
2日目以降は観光地を観光しました。
でっかい門を見たりしました。
でっかい門だなー と思いました。
さぞ歴史があって素晴らしいんだろうけど観光地的に誂えてあるので名所どころ行ってもあんまりわくわくしないんですよね。
街中で狂ったパンダ運送トラックを見たときは
アハハ パンダが狂ってるー
とすごくわくわくしました。
このパンダさんは一体どうしちゃったのでしょうか。
よく見ると彼は舌を出しているのかと思いきや親指を立てたグッドサインをしているんですよね。
まだ大丈夫です、と訴えかけているのでしょうか。
絶対大丈夫じゃないと思います。
台湾はそんな感じです。
次はタイです。
タイ
台湾からタイへと飛び立ちました(飛行機で)。
空港に着くと字が読めなくなりました。
台湾は漢字の雰囲気である程度は意味を類推できたんですけどタイはホントにわかんないです。
あの曲線にどんな意味が込められているのかと考えると頭が痛くなります。
換金したりした後、空港からバックパッカーの聖地、カオサンロードを目指します。
タイのスワンナプーム空港からエアポートリンクを使いパヤタイ駅まで向かい、それからバスでカオサンロードへ、という計画でした。
エアポートリンクの切符は台湾と同じくコイン型のICトークンでした。
台湾は青でしたがタイは黄色なのでかっこいいです。
電車です。
電車には乗れて無事パヤタイ駅についたのですが問題はそこからなんですよね。
バスに乗っていく計画だったのですがカオサンロードへ向かうバスが一向に来ません。
しかもタイのバスは日本みたく行き先が書いてあるわけではなくバスの番号のみなのでどのバスがどこに行くのか全くわからないです。
焦る友達を見ながらボーッと立っていたらロシア人のバックパッカーの2人組にぼくたちもカオサンロードへ向かうからタクシーをシェアしないか、 と申し出を受けました。
ロシア語じゃなくて英語だったのでよかったです。
こちらとしても願ったり叶ったりなのでその申し出を受けました。
タクシーの中で必然的に会話が発生するのですがそのロシア人のしゃべる英語がなんか訛っててうまく聞き取れなくて困りました。
困ってたらロシア人がフゥーっとため息をついて
Disappointed.
とつぶやきました。
すげぇクリアに聴き取れました。
失望されました。
悲しかったです。
そうこうしてる間にタクシーはカオサンロードに到着しました。
代金は80バーツでしたがシェアしたのでひとり20バーツです。
1バーツだいたい3円くらいなので日本円にして60円くらいでメチャクチャ安かったです。
失望されたぶん得をしました。
カオサンロードはネオンがきらめいて怪しげで雰囲気がすごかったです。
まるでそこだけ密度の濃い夜の一部でした。
カオサンロードはバックパッカーの聖地と呼ばれることもあり安宿が軒を連ねています。
緑色の看板がきれいだったので緑色の看板のゲストハウスに入りました。
1泊300バーツでしたが連泊する旨を伝えると1泊200バーツにしてくれました。
メチャクチャ安いです。
日本円に換算すると1泊600円そこらですからすさまじいです。
ここの宿もドミトリーでした。
わりと空いていて台湾のときみたくねちっこいコミュニケーションをする必要がなかったのでラクでした。
泊まったゲストハウスは隅々まで掃除が行き届いており快適でした。
タイのトイレは便器脇に小型のシャワーがシャワーが付いており用を足したときにそのシャワーで洗い流します。
地元の人は紙を使わずシャワーだけで洗浄するようですが自分は地元の人じゃないので持ってきたトイレットペーパーを使いました。
持ってきといてよかったです。
そこらへんを踏まえると日本のトイレのウォシュレットはすごいなと思います。
日本のおしり界隈への情熱を再確認しました。
夕食は屋台でとりました。
後で調べたらカオマンガイという食べものだったようです。
ソースが辛かったですが普段食べないような味付けでとってもおいしかったです。
しかも安くてすごい。
あとタイはマンゴーが信じられないくらいおいしいです。
何とはなしに買ったマンゴースムージーを飲んだら天上的なおいしさでえーーっ!! ってなりました。
マンゴーの虜です。
他には出店で吹っかけられたりそれをうまくいなして値切ったりして楽しかったです。
友達はわけのわからないアクセサリーを買わされそうになってました。
出店には仏像とか置物が並んでいましたが仏様系のグッズはタイ国外への持ち出しが制限されていて空港で没収されたりするそうなので原則買わないほうがいいと思います。
1日目はそんな感じです。
2日目はバンコク市内の散策です。
渋る友達を説得し、かねてから行きたかったシリラート病院死体博物館へ行きました。
この博物館は病院が運営していて、ホルマリン漬けの死体標本や骨格標本が展示されています。
日本では死体を見る機会なんて滅多にないですから。
生々しくグロテスクでしたがひんやりとしてどこかもの悲しい雰囲気が漂っていました。
友達がしきりに呪われた、呪われたかもしれないと言ってました。
写真は撮っていませんがシーウィーという人喰いを犯した連続殺人犯のミイラが展示されており死してなお衆人環視の場に置かれ罪を償い続けるというのはいささか酷なものだなと思いました。
供養する価値もない、と政府が判断したということでしょうか。
このシーウィーについて調べれば身の毛のよだつおぞましい話を知ることができます。
仮にこのような展示が日本で行われたとしたらおそらく人権がどうのこうのという論調や議論になると思いますがそういうのはいかがなものでしょうか。
あまりクリティカルな物言いはできませんが人権とか倫理とかそういうのを持ち出してきて目を覆ってしまうのはただ思考停止したいだけなのではないかと思います。
この博物館には赤ちゃんの死体が非常に多く、赤ちゃんの死体標本の前にはお菓子やおもちゃが供えられていました。
その光景は悲しい、悲しいですがもう死んでいてお菓子を食べたりおもちゃで遊んだりはできないのだから老婆心でそんなことするなよと思うしなまじ希望を与えるようなことをするのは残酷だと思いました。
ただ感情が先行してしまってやりきれない気持ちになります。
死体標本の他にも交通事故の死体写真や殺人現場の写真、殺人に使われた凶器、被害者の衣服などの展示があります。
強くおすすめはしませんがタイに行ったときは訪れるといいかもしれません。
併設された寄生虫博物館の最初のコーナーにご丁寧にひらがなで「さしみ」と書いてあり完全に日本に喧嘩売ってたのは笑いました。
博物館見たあと友達とはぐれたのでひとりで市内を散策しました。
タイの中学校近くを歩いていると学生がものすごくたむろしている店があって、なんだろうとのぞいてみるとアニメや漫画が置いてあるホビーショップでした。
中では学生たちがカードで対戦をしておりタイの学生もカードゲームするんだなと感慨深かったです。
自分も中学のときはカードゲームにハマっていたので日本もタイも世代的な遊びはそんなに変わらないのかもなと思いました。
自分はカードで対戦する楽しさよりもお店でパックを買ってレアカードを引き当てるというギャンブル性の部分に魅せられていたので対戦の楽しさはよく知りません。
BTSでサイアム駅に行きました。
駅の切符はカードでした。
駅から直結しているサイアムセンターでは連日報道されていた爆弾テロ事件のためか警備がかなり厳重でした。
自分も荷物検査されました。
検査されましたがホントにマジで腑抜けたろくに英語もしゃべれないペーペーのバックパッカーのはしくれとも言えないような俺が爆弾工作してると思ってこの人たちは荷物検査してるんだと考えるとなんだかおかしくなります。
タイ滞在中に爆弾テロが起きることもなくてよかったです。
食品売り場にはお寿司がありました。
なんか食品サンプルみたいでそんなにおいしくなさそうです。
寄生虫博物館で生魚食べる日本人に喧嘩売っておきながら寿司売ってるなんて面の皮が厚すぎてビビります。
他の食べ物と比べてこのお寿司の価格はわりと高めに設定されており贅沢品という位置づけなのか暗に食べさせないようにしているのかよくわかりません。
日本資本っぽい外食店がありました。
タイならいけると踏んだのでしょうか。
提灯に浮かぶおそらく経営者の顔はどこか遠くを見つめています。
電車に乗ってカオサンロード近くまで向かいます。
電車の中にはモンク優先席があったりして興味深かったです。
電車を降りると突然のスコールに襲われました。
ビチャビチャです。
なんとかカオサンロードに着きました。
雨が降ったせいかカオサンロードは幻想的な雰囲気を醸し出していました。
夜はパッタイというタイの焼うどん? を食べたりマンゴージュースを飲みました。
2日目はそんな感じです。
3日目はアユタヤという寺院がたくさんあるところに行きました。
船で川を渡りました。
友達ははしゃいでいましたが自分は世界遺産とか全く興味がないのでどれを見ても石だな、とか岩だな、とか似たような感想でした。
自分は歴史的建造物や風土的なものよりはそこで営まれる生活や娯楽文化などの風俗的なものの方が好きなことを再確認しました。
風俗といえばタイで風俗に行きました。
友達は置いていきました。
こういう話は少し躊躇ってしまうのですが、なぜ躊躇ってしまうのかというときっと自分はまだ清廉潔白でいたいと思っていることに他ならず甘っちょろい自己保身が見え隠れしていて、少なからず他人の目を気にしており(そもそもこのブログを読んでいる他人はほとんど存在しないであろうに)眼差しの位置を意識しすぎてしまっているのだと思います。
もうどうでもいい知り合いは頭の中で殺したので彼らは息をしてはいませんがその亡骸の関係のために無意識にリミッターをかけてしまっている自分が少し腹立たしいですね。
あまり明け透けにしてはよろしくないものだと理解はしていますがそもそもなぜ風俗が臭いものだとして蓋をされたままなんでしょうか。
タクシーを探して拙い英語でそういうお店に行きたい旨を伝えると運転手も心得ているようでブンブンブンブン言いながら手招きをしてくれました。
ブンブン??
タクシーの運ちゃんに教えてもらったのですがタイで「ブンブン」とはどうやら性行為のことを意味するらしく「ブンブン」という軽妙な語感であるのにヘヴィにセクシャルな意味を持ち合わせている「ブンブン」という言葉を自分はいたく気に入りました。
YouTubeでブンブンブンブン言ってるヒカキンはなんて業が深いんでしょうか。
ブンブンハローとか元気がいい猥褻物陳列でしかありませんよね。
自分が、
「レッツゴーブンブン!ゴーゴーブンブン!」
と言ったらタクシーの運ちゃんもノリノリで、
「レッツゴーブンブン!ゴーゴーブンブン!」
と返してくれ、言語は違えど初めて心が通った瞬間でした。
非常に気分がよくなったのでもうどうにでもなれと卑猥なオモチャのように体をくねらせブンブーン!ブンブーン!!って叫んでたらめっちゃウケて安くなりました。
運転手おすすめのお店で降ろされ、グッドラック!とお互いに声をかけあいタクシーはバンコクの夜のしじまに消えました。
たしか「バレンタイン」って名前のお店でした。
パープルのネオンが怪しく煌きます。
怖いおじさんがいたので写真は撮っていません。
中に入るとそりゃもうすごい性のワンダーランド、裸の女性の絵などが飾ってあります。
店内に入るとキャストがひな壇に座っており客はその座っている女の子の中から好みの女の子を指名するというシステムです。
女の子がずらりと並び江戸時代の遊郭を彷彿とさせます。
料金は2000バーツ、価格崩壊です。
他にも飲み物代とかはかかります。
あとチップ。
女の子もそれなりにかわいかったです。
水シャワーばかりでろくにお風呂に入ってなかったのでお湯を張った湯船で身体を洗ってもらったりシャンプーしてもらったりしてかなりさっぱりしました。
ただこのお店は地元の人がよく行くお店らしく観光客はまず来ないので言葉が通じませんでした。
英語もダメでした。
ですのでジェスチャーで意思疎通をしたのですがそれが伝わったときの感動はひとしおです。
異文化コミュニケーションです。
おすすめします。
言葉が通じなかったとき自分は
またか、
と思いました。
というのも自分は以前台湾でマッサージ店(そういうサービスを提供している)に行って言葉が通じないという目にあったことがあるからです。
中国語は你好(こんにちは)と謝謝(ありがとう)しか知らなかったのでそのふたつだけで戦うほかありませんでした。
このエピソードは話すと長くなるので機会があればお話ししようとは思いますが読みたい人はいるのでしょうか。
ともかく今回はタイでタイ語はほとんど知らなかったのでかなり苦戦を強いられました。
知っているタイ語といえば 、
โลหะผสม アロイ (おいしい)
日本人の品格を下げかねませんからね。
まぁ品格なんかどうでもいいんですけど「ありがとう」ならまだしも「おいしい」はまるで意味を成さないので封印して正解でした。
こういう店構えでした。
壁がエロかったです。
ナマステ。
堪能しました。
宿に帰って寝ました。
その夜自分はかなりいびきかいて寝てたらしいです。
友達が言ってました。
4日目はウィークエンドマーケットに行きました。
ウィークエンドマーケットとは土日のみに開催される大規模なマーケットのことで雑貨からペットまでいろんなものを売っています。
タイに行くときは土日に合わせてスケジュールを組むことをおすすめします。
自分はお皿と石けんとスパイスを買いました。
日本語が意味を奪われて苦しそうにしてたのが印象に残っています。
タイはそんな感じです。
次はインドです。
インド
スワンナプーム空港を夜9時に出発し深夜2時にインドのムンバイへ到着しました。
深夜2時にインドに放り出されるとはなんてざっくばらんなスケジュールだったんだと思いますが深夜2時に市内に出ると悪いインド人にカレーを頭からぶっかけられかねないので空港で待機しました。
朝6時から行動を開始しました。
空港からはタクシーで移動しました。
プリペイドタクシーなので前もってお金を払います。
だけど自分は空港で両替するより市内で両替したほうが絶対レートがいいんだという根拠のない確信があったので友達に払ってもらいました。
ムンバイ市内に着きました。
人と車でごった返していてインドの混沌を感じました。
驚いたのがインドでは横断歩道がほとんど見当たらないので道を横断するときは走っている車を掻き分けて横断するんですよね。
道路の真ん中で立ち往生してその脇をバイクやトラックがビュンビュン通り過ぎて行きます。
こりゃいつか死ぬなと思いました。
市内に着いてまずは両替所を探すんですが衝撃的な事実が判明します。
インドに着いたその日は日曜日だったので銀行はほとんど閉まってしまっていたのです。
もう絶望です。
一文無しの状態 inインドです。
お金がないと何もできません。
インドルピーを持つ友達だけが頼りであり心の支えでした。
インドの人に訊いたらチャーチゲート駅近くの両替所なら空いてるかもしれないと言われ、嘘か誠かわからないけれどただすがるしかないので一同チャーチゲート駅を目指します。
ムンバイ・ターミナル駅から出発しました。
運賃は1人5ルピー、メチャクチャ安いです。
1ルピー3円くらいなので15円くらいでしょうか。
安い。
ただこういう切符を買いさえするものの切符を確認する駅員さんを見かけないし切符なくても乗れちゃうじゃんコレと思いました。
そこらへんテキトーですインドは。
電車のドアは開きっぱなしでとても開放的です。
インドの電車というと人がはみ出すくらい乗ってて屋根にも載ってたりして満員電車のレベルを超えたカオティックなものを想像していたのですがまるで違いました。
ちゃんと椅子もあり座ることができました。
自分たちが行ったのは南インドなのでデリーとか北インドはまた違うのかもしれません。
また電車の等級によって変わるのかもしれませんがそこらへんはよくわかりません。
チャーチゲート駅に着きました。
鳥さんが影分身しててさすがインド! と思いました。
着いたはいいもののインドは広いので右も左もわかりません。
なんかゴチャゴチャしてかっこいい建物を目指すことにしました。
ここでも相変わらず車は歩行者なんてお構いなしにビュンビュン飛ばします。
前後左右を確認して慎重に道路を渡ります。
もう少しであちら側に辿り着こうとするまさにそのとき、強い衝撃、視界が真っ白になりました。
あの閃光質の景色はおそらく茫漠とたゆたうインドの白い雲であったことでしょう、突然の出来事に自分に何が起こったのか理解するのに時間がかかりました。
血まみれの腕、脚、道路に横たわる自分、騒ぐインド人、クラクション、集まってくるインド人、やっと自分はインド人の運転する車に轢かれたのだということを理解しました。
轢かれた? 車に? インドで?
周りのインド人がすぐに自分のもとへ駆け寄り、自分の身体を抱き起こしてくれました。
そして次々にAre you OK? などと自分を気遣う言葉をかけてくれました。
吹っ飛んだ靴、鞄、胸ポケットに入れてた機内でもらったスティックシュガーから何から何まで拾って集めてくれました。
やさしい。
もし自分が傍観者だとして、目の前の人物に対しすぐに何かできることはないかと行動することができるでしょうか、そのやさしさと諸手の善意に心を打たれました。
そして車のドライバーさんがフロントガラスが割れた車で病院まで連れて行ってくれました。
なぜか世話焼きなインド人のおじさんが勝手に乗り込んできて運転手を急かしてました。
なにもそこまで、と思いましたがそれは自分のためを思ってやってくれていること、運転手は絶対なんだこいつと思っていたはずなのですがありがたかったです。
病院に着きました。
まさかインドで病院に行くことになるとは。
肩を貸してもらい救急外来のところへ向かいます。
台の上に寝かされます。
まさに知らない天井、頭がじんじんしました。
医師の触診を受けレントゲンを撮りました。
レントゲンです。
まずは患部の消毒をしてほしかったのですが先にレントゲンを撮るのがインド流らしいです。
マインドが骨なんですね。
骨は折れていませんでした。
自分のレントゲンを見た友達が、
「いい骨してるね」
って声をかけてくれたけどそんなねぎらい方があるかよと思いました。
レントゲンを撮り終えてまた台に寝かされて起きるとやっと消毒をしてくれました。
ナースさんの褐色の肌が白衣に映えてすごく奥ゆかしかったです。
インドのナースを見れてラッキーでした。
消毒を終えて病院の外に出ました。
どうやら料金は払ってくれたようです。
ありがたい。
そのうえお腹減ってない?とバナナを買ってくれました。
くわえてココナッツジュースまでごちそうになりました。
そして運転手と運転手のお母さん(なんか来てた)はタクシーを呼びとめ嵐のように去っていきました。
突然の退場に事態を飲み込めず去っていく親子をバナナ食べながらボーッと見ていました。
周りからみると相当アホらしい光景だったと思います。
バナナを食べていると雨が降ってきました。
インドに試されている、私はそのとき確信しました。
インドルピーも持っておらず宿泊先も確保できていない、追い打ちをかけるような激しい雨、雨は街の汚れを洗い流してくれますが自分たちのどうしようもないこの状況は清算してはくれません。
傘も持っていなかったのでビショビショでした。
雨に濡れる私に通りすがりのインド人が入りなよと傘に入れてくれました。
これがやさしさか。
出会い頭のやさしさに涙が出そうになりました。
自分も雨に濡れる人を傘に入れてあげるようなスマートなインド人になりたい、そう思いました。
いつのまにかどこかに行っていた友達が両替所を見つけてきました。
そこは鉄道の予約サービスも受け付けており一気に旅程が決まりました。
かなりいいレートで両替でき、旅程も決まり、安い宿も教えてもらい超ハッピーです。
おそらく私が車に轢かれなければこの店に立ち寄ることはなかったでしょう。
そう考えると私が車に轢かれることもどこかであらかじめ折り込み済みであったようにしか思えなくなります。
いやー インドは奥が深いですね。
ムンバイでは物乞いに日本から持ってきたカンロ飴をあげたり笛を買わされたりでたのしく過ごしました。
2日目はアウランガーバードに行きました。
寝台バスです。
降りたら怪しいインド人につかまりました。
降りたところがホントに何にもない田舎でどこも寄る辺がないので怪しいインド人についていくことにしました。
怪しいインド人って字面だけでも怪しさが半端ないんですがカレーをぶっかけてくることはありませんでした。
ノートを見せてくれました。
この文字だけに存在する日本人たちはこの怪しいインド人が作り出した幻想かもしれませんが私たちを信用させるには十分でした。
アジャンター石窟に行きました。
ナチュラルでスピリチュアルな感じがヤバくてオシッコちびりそうでした。
10分で飽きました。
世界最古のとか言ってたけど石見てどうすんだよホント。
まだ言葉が通じない風俗に行って「悠久」とも言えるしどけない時の流れを感じてた方がまだいいのに。
もう飽きた飽きた。
以下ダイジェストです。
怪しいインド人のおうちに連れていかれました。
大家族でした。
怪しいインド人の家族は怪しくなかったです。
元気いっぱいでした。
ヤギがたくさんいました。
アウランガーバードを出てチェンナイに向かいました。
寝台列車に乗りました。
こんな感じ。
寝台列車で気さくなインド人に気に入られ訳のわからないフルーツをふるまわれました。
おいしかったですけど。
みんないい人たちでした。
日本のエロいビデオが見たいとか言ってたのでXVideoを教えたんですけど今考えると別に日本資本じゃないしDMMを教えといたらよかったですね。
ケータイを渡してフォルダを見せてたらこの写真はなんだ、と言われました。
なんなんでしょうね。
なんで俺はこんな写真をフォルダに保存していてなんでまたこんなの見つけちゃうんだろう。
Japanese party girl と説明しました。
間違ってはないはずです。
他にも日本の女と結婚したいから電話番号を教えてくれと言われたのですが自分の電話帳にはお母さんしか女性がおらず、またお母さんは人妻なのでけして教えることはできませんでした。
履歴の一番古いとこにあった誰かわからない番号を教えました。
知らないインド人から電話がかかってくる恐怖ったらないでしょうねきっと。
インドの人はやさしいです。
ホントにそう思います。
これはアウランガーバード近くのカチェグダという街で食べたご飯なのですが安くてとにかく量が多かったです。
部活終わりにとかよさそうです。
これはmaazaというインドで売ってたマンゴージュースなのですがこれがとにかく美味すぎて神々の飲み物ネクタールと錯覚しました。
いやもうとにかく美味い。
何が美味いかって文章化するのもおこがましくて口に含んだ瞬間思わず唸りました。
インドにいる間4リットル飲んだのでそれが証拠です。
コカコーラが出してるみたいなのでいつか日本でも販売してくれないかなと思います。
いやもうホントに美味しいあんなに美味しいとは思わなかった喉が溶けるかと思った。
取り乱してしまいました。
国籍が全員インドのストリートファイターみたいなやつがありました。
右のインド人は脇からヨガファイアを出さんとしています。
みんな強そうでした。
インドはチャイが有名です。
カメラを向けられたおじさんが目立とうとしてこんなことするのでミルクが飛び散ってめっちゃ熱かったです。
チャイは美味しかったです。
チェンナイのビーチに行きました。
砂でした。
インドはそんな感じです。
次は空港でいろいろあってスリランカに行きました。
スリランカ
もう飽きてきました。
海です。
1時間くらいベンチに座って海を見てました。
どこまでも海でした。
スリランカのCD屋に行きました。
海賊盤の見本市でした。
子供用のリスニングCDになぜかFF13のホープがいました。
このキャラじゃなくてもよかったのに。
スリランカのAVが売ってたので買いました。
鑑賞しましたが老若男女がバスで山の奥にピクニックに行くところから映像が始まり、何これ?何これマジックミラー号? せめてマジックミラー号であってくれ〜 と思いましたがマジックミラー号ではなくなぜかみんなが一斉に踊り始めて訳がわからなくなりました。
そうしているうちに絡みが始まりものすごいスピード感がある作品でした。
AV評論にスピード感なる言葉を使うとは思っても見ませんでしたがどんどん加速していきました。
もう友達にあげました。
スリランカはそれ以外に特別なことはありませんでした。
飛行機を乗り継いでタイのスワンナプーム空港で約2日寝泊りして日本に着きました。
着いたのですがスリランカルピーが日本で換金できなくて日本円がなくて詰みました。
京都駅までは辿り着きましたが大変でした。
やっぱ日本はいいなと思います。
そう簡単には車に轢かれないので。
今回の旅行では日本という国籍を強く意識させられました。
日本人だ、というと相手の態度が軟化したりします。
また、街を歩いているだけで日本人か、と声をかけられることもありました。
自分たちを日本人たらしめているものは何なのか、日本にいるとわからないので大変興味深い体験でした。
あとマンゴーのおいしさを見つけたので積極的にマンゴーを食べる人になりたいです。
ブログを書きかけでほっとくとだんだん面倒くさくなるので次回からはテキパキやっていこうと思います。
今回は12000文字くらい書きました。
誰か褒めて褒めてーー!!!!