書きかけ小説

目の前で人間がホームに飛び降りた。顔はよく見えなかった。神妙な面持ちだったのかもしれない。もしかしたらウキウキしてたのかな。アラベスクに似た形でそいつはゆっくり倒れこんだ。けたたましい音、 向こう側からやってきたパステルカラーでラッピングされた電車がそいつをたやすくすり潰す。止まれない。ブレーキなんて効かない。慣性の法則には抗えないのだ。鼓膜を針で刺すような鋭い音、瞬間にくぐもった鈍い音。それは重いものを跳ね飛ばす音と何かがつぶれる音。形容の音はどうでもいい。刹那、みんなが悲鳴をあげる。嗚咽、金切り声、動揺のどよめき、さざめき、 ああうるさいなと自分は思う。いいじゃないか、ただ肉塊が原型を留めなくなっただけじゃないか。単なる自己淘汰じゃないかな、なにか他に涙が出るくらい深い理由があったのかもしれないけどそこは不可知の領域だ。電車の吹き返しが生臭い風をこちらへ運ぶ。なんでこの元人間は死んだのかな、と思う。オーディエンスを湧かせたかったのかな? もしそうならその目論見は成功した、いささか趣味の悪さは否めないけど。死ぬ前もきっと趣味が悪かったんじゃないかな、服とかイマイチだったし。知らないけど。きっと違うんだろう。彼女はもう不可知の女王だ。そのエンターテイナーの死はただの現象であり、ダイヤの乱れという形でこちらへ影を落とす。おいおい何してんだ、こんな時に死んでくれるなよ全く。ただ死のライブ感というか潰される音とか鮮やかな光景はすばらしく肉迫する死が拡散する様は美しかったな、と思う。グレイト! やっぱり彼女は最高のエンターテイナーだったよ。会ったことも見たのもたぶん初めてだけど。だって似たような人は世の中にたくさんいるしいちいち判別するのは面倒だ。ふとシャツを見ると彼女の残り香というか置き土産がべっとりと付着していることに気づく。あーあー過剰サービスだよ、服が汚れたじゃないか。血の臭いと怖いもの見たさの野次馬がホームに充満する。はびこる窃視願望が死者を弾圧する。まだ生きているたくさんの人間が死んだ元人間の肉塊を見下ろす様はお高いところの生が低いとこの死を見ているって感じでなんか面白いなと思う。死を見たいって気持ちはわかる。自分も潰れてペシャンコの蛇とかはねられて死んだ猫をよく見に行ったものだ。そいつらの立ち昇る腐臭で自分の生をまざまざと見つめ、感じる。まだ生きているのだ、俺は。
電車は当分見合わせで、悲鳴と嗚咽の喧騒にはいささか食傷気味だ。駅員がグチャグチャの肉塊を、死体を片付ける様を見てたいなと思ったけど俺はもう疲れたのだ。久しぶりにショッキングなのを見たから脳が処理落ちしてる。疲れた。