きゅうりはスッパリ切れた。
特に暴れることもなくおとなしかった。
胡瓜と書くとなんだか高級品のような雰囲気を字面からただよわせ、キュウリと書くとビニール素材のテカテカした安っぽさを感じるからひらがながちょうどいい。
切断面がとてもきれい。
曲がっているのは田舎のきゅうりだからである。偏屈なのである。
このきゅうりはたたききゅうりにしてごま油を少し垂らして食べた。
東京へ来てたくさん飲みに連れてってもらうようになってから、きゅうりの美味しさやありがたさがわかるようになってきた。
山芋のチーズ焼きやチキン南蛮を食べてもったりとしつこくなった口の中をきゅうりがサッパリさせてくれるのだ。
大学の友達と飲みに行ったときはから揚げだの焼うどんだのボリューミーで炭水化物まみれのものばかり注文していた。
自分と世代が違う大人の人たちと飲むと必ずきゅうりが卓上に並ぶ。
それは酒のサカナとしてである。なにかつまもうか、というときにきゅうりは丁度いい。
きゅうりが居酒屋はメシを食うところではないと教えてくれたようなものなのである。