クソが

小学校のころなにかを尋ねられそれに対して答えると何かにつけてそれ命懸ける?って命を天秤に乗せてくるハードボイルドなやつがいた。この場合の"かける"は「懸ける」よりかは「賭ける」というニュアンスが強そうだがそれはそれとして問いかけに対して自分は躊躇いもなく自信を持って命懸ける宣言をしたものだった。その即答に対して念を押すかのようにお前のお父さんとお母さんの命も賭ける?っていうジョジョ3部のダービーのような血も涙もない提案をしてくるのだが私は臆することなく自分と両親の命を賭けた。内容は確か漢字の書き順だった。横線の次はどこを書くかというクイズだった。「可」という漢字はどうやら下のハネより先に中の口部分を書くらしい。私の命と両親の命は奪われてしまった。あらら。

こういうトリッキーな書き順の漢字を持ってくるあたりおそらく相手は最初から分かっててこの問題を出したのだろう。私はまんまとハメられたのだ。だからといってマジで命を奪われたわけでもなく両親は元気だし代わりに何かを獲られることもなかった(ちなみに訊いてきたやつの両親は離婚している)。ともかくそうした命の駆け引きをしたい年頃だったのだ。そうした問いかけには自分の回答の自信にかかわらず何度も受けて立った。おじいちゃんおばあちゃんの命も奪われたし果ては校長先生まで命の天秤に登場した(死んだ)。小学校時代は命を賭ける、ということにときめいたときだった。つまるところ何が言いたいのかというと小学校のころは何の躊躇もなく命を賭けることができるくらい勇敢だったということだ。

今私は命を賭けられるだろうか。いやきっと無理だろう。日和ってしまう。あの頃に戻りたいとかそういうつまらないことを言いたいわけではなくてあの無謀な勇敢さは素敵だと今は思う。

最近はバイト先で男女関係の縺れをありありと見せつけられ女心はわけわかんないことがわかった。バイトは接客業なのでそういうときに気の利いた一言でもかけられればいいのだがいかんせんそういった言葉が出てこない。第一恋愛の蓄積がないしそういった素養が自分には一切ないためだ。高校のころみんなが雨が降ろうが槍が降ろうがやれ恋愛だ彼氏彼女の関係だなどお盛んにやってるときに自分はメル友を探すサイトでメル友を探して知らない女のおっぱいを見ることに必死だった。

それはある意味ゲームで、3次元の攻略エロゲをやってたとも言えるだろう。カタルシスには段階がある。階段のようにとんとん拍子に進めるわけがない。階段の次の段が果てしなく遠く、おっぱいを見るために平坦なその道をぐだぐだ続けるのがしんどくてしょうがなかった。恋愛というものが激情的な一瞬なら恋愛が発露する過程は平坦なだらだらとした日常の連続だ。その日常が何者にも代えがたい特別な価値を得ることもきっとあるだろうが私はよくわからない。私の場合激情的な一瞬とはメールにておっぱいの画像が届くその一瞬であったのだから。メールの添付ファイルを示すクリップマーク📎は福音だった。退屈な日常をビビッドに色付ける装置であったのだ。

この獲得の経験を話せばキリがないのでカップルの話に戻るが単純に言えば私は彼のことが好きだがそれに反して私はあまのじゃくな態度を取ってしまう、そんな私の態度も嫌いだし、機嫌が悪いのと勘違いしてご機嫌取りをしようとする彼氏の態度も気に入らない、ちゃんと私があなたのことを好きなことをあなたに気づいてほしい、という全然単純じゃないアリが集りそうな内容である。女性はいつもこんなこと考えてるの? わかんねぇよこんなの。先輩は察していたようでガンガン気の利いた言葉をぶつけて女の子の感情が決壊して泣き出してしまった。まだまだだねとか言われたけど何がまだなのか。お前はメールでおっぱいを見るテクニックを知っているのか? 私には私の戦略がある。スタイルがそもそも違うのだ。俺をあまりナメるなよ。

さて、この男女の関係は激情的な一瞬と平坦な日常の連続のどちらだろうか。
私は激情的な一瞬であったと思う。男は女の気持ちに気づいてあげられなかった自分を責め、より献身的に女の子のことを考えてあげられるようになるだろう。女は意地悪だった自分を反省しつつも男への気持ちをより強めるだろう。そうした関係の強化は当事者たちにとっては甘く、苦く、いじらしい恋愛の一部分だろう。男女にとっては。こちら側、というか私にとってはレディメイドのように進行していくこのイベントを虚実皮膜の外側からぼんやりと眺めていた。こいつらこのあとめちゃくちゃセックスするんだろうなとか考えると美しい恋愛の一瞬もおっぱい画像の地平にまで転落したような気がする。もう閉店時間だし帰れ。

だが恋愛の美しさについては認める部分がある。中島らもの恋愛小説を読むと恋愛のきらきらした部分になんとも魅せられてしまう。そのストーリーに耽溺するためにまず彼女を作らなければいけない。かわいい彼女を。

ということで今日は女子大の学祭に行ってきた。京大へ向かう通り道にたまたまあったからというのは言い訳である。何かきっかけが欲しかったのだ。恋愛への足掛かりになるきっかけを。私には友達がいないので1人で行った。1人で行く人なんかほとんどいなくて大抵ワンチャン狙いに来た男子大学生が複数人で来てて、1人の人がいてもそれは女子大生とワンチャンあるかと勘違いした30、40代のおじさんである。女子大生のお父さんかもしれないがそういうことにしておきたい。私はまだ若い。20歳だ。人生で最も美しい年齢だ。何かを得るには行動しなければならない。その点ではおじさんは立派である。お前らにはワンチャンはない。

女子大の学祭に行ってみたはいいものの女子大生が話しかけてくるみたいなことは一切なかった。大奥みたいに迎えられたらいいなとか思ってたけど浅ましさの極みだった。なんにもない。

とにかく行動しなければならない。古美術研究会のブースに行った。クッキーとほうじ茶をいただきながら仏像の魅力についての展示を鑑賞した。ぼんやりとしてたら声をかけられたのでモテたなと思ったら違っておみくじ引いてみませんかというものだった。引いた。

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情報量が多すぎて思考停止してしまった。

よりによって凶かよとまず思った。こういうのって凶は入れなくて最悪でも小吉くらいのもんなんじゃないのと思った。そして空也上人が目に飛び込んできた。空也上人はかっこいいから知ってた。全部ムチャクチャだったが仕事運のところを見ると「何か新しい事に挑戦すると吉」とあったのであながち信憑性があるのかもしれないしいいことがあるのかもしれない。娯楽の字が間違ってるのが凶を象徴しているように思えた。いじらしい。

クッキーが美味しかったので買って帰った。
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クッキーを買って帰るお客さんはいないらしかったので驚かれた。

実際おいしかったしこれは何より女の子の手作りであるというところが大きい。というかほとんどそれだ。手作りクッキーをお金を払って買うことができるのだ。ああ資本主義社会かくの如き、愛はお金で買える。買えちゃうのだ。

私は食べものをくれる人はだいたいいい人だと認識するので食べものをくれる女の子が好きである。高校でお菓子をくれた女の子は覚えている。そういえば大学での小集団授業の自由時間のときにいっしょにお菓子食べようよと誘ってくれてじゃがりこをくれた女の子のことは覚えている。またお菓子くれたらいいなと思うけどあいさつしなかったら全員いなくなってしまった。かわいかった記憶があるがお菓子の魔力なのかもしれない。とにかく今どうこう言ったところでどうにもならない話ではある。

女子大に行って手作りクッキーを持ち帰っただけでも万々歳だと思う、思うことにして次は京都大学の学祭に向かった。

京大はすごく広く催しもおもしろくやっぱ頭いいとこは違うなと思った。模擬店でアルコールを提供していたところがやっぱ京都大学すごいなと思った。女の子もかわいかったしこの人たち全員京大なんだなと思うとハイパーブレインの集まりに戦々恐々としてしまう。京大生とワンチャンみたいな女子学生がやたら多かったような気がする。京大の学祭はめちゃくちゃ楽しかった。福山雅治コンテストみたいなのがよかった。京大に行ってればと思ったりしたが仮定の話には意味がない。

帰りにカフェに寄った。京大周辺はおもしろいお店が多い。おしゃれなカフェだった。
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邪な気持ちが出たのか写真が真っ暗になってしまった。もう知らん。このハンバーガーはめちゃくちゃ美味しくてバンズにこだわりが感じられた。トップにはゴマではなく炒ったケシの実が振りかけられ食感と香りにアクセントを加えていた。それに何よりビーフパティが肉厚でたいへんおいしかった。頬張ると下から透明な肉汁がジュワっと滴るのだ。こういう贅沢なものは初めて食べた。ハンバーグの美味しさは食材の重なりの渾然一体にあるのだと思う。ナイフとフォークを与されたがかぶりつかないとハンバーガーのおいしさは味わえないだろう。

食後にコーヒーをいただいた。コーヒーもおいしい。私は美味しいコーヒーはブラックで飲む。酸味が強いものが好みだ。美味しくないコーヒーは砂糖をたっぷり入れて飲む。そういう飲み物である。

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やっぱオシャレである。1階はテーブル、2階は座敷、なので思う存分くつろげる。好きな本の話をしたりおいしいお店の話をしたりといろんな話ができるだろう。相手がいれば。ここではお酒も提供しているようなので気持ちよく酔うことができそうだ。

女性スタッフがポンポンのニット帽を被っていてかわいかった。最高である。この人も京大なんだろうなと思うとすごい。このお店は店員さんを呼ぶときに小さいベルを鳴らすのだがこんな小さいので聴こえるのかなと思ってたら聴こえてたみたいですごかった。京大の片鱗を垣間見た気がする。

自分はお酒がそんな強くないので飲み屋を巡るよりかはこうしたカフェを巡ったほうが楽しそうである。おすすめのカフェを教えてほしい。京都にはいろいろな店があり私はまだ京都を知らない。

勇敢になって彼女ができてカフェを知り尽くしたらとてつもない能力が手に入りそうである。というか私は彼女よりパトロンがほしいのではという自己推測をしてみたがそんなこといっちゃうときらきらした恋愛もクソもないのでかわいい女の子といいお付き合いをして素敵な恋愛をしたいものである。まぁブログでこんなこと言ってるようじゃ望み薄だしなぜかアクセス数は増えたけど具体的な評価がほとんどないから悲しい。