変わっていた

実家に帰ってきた。東京から新幹線で帰ってきた。ゴールデンウイーク半ばだが自由席は空いていた。窓際に座れたのでよかった。地元まで4時間は長すぎて、新幹線の特別さが薄まって間延びしてしまう。

 

最寄りの駅に着いた。構内は前と変わらなかったが駅前がだいぶ変わっていた。

 

f:id:jpmpmpw:20180502023219j:image

蔦屋書店が市の図書館と協業して、本を借りれるし買えるし自由にくつろげる施設ができていた(1階にはスタバもある!) 。蔵書のセンスもよかった。館内には制服を着た高校生たちがフラペチーノか何かを飲みながら友達と談笑していてうらやましかった。こういう場所が高校生のときにあったらなと思った。友達と訪れたり1人で勉強したり、窓際の席でコーヒーを飲んでかっこつけながら。身近だった場所が変わっていくのはうれしい。友達と遊んだ帰りにたまに寄っていたそば屋がなくなったのはさみしいけれど。

 

ステキな施設ができたのは喜ばしいことだが、実家は駅もないコンビニもない山の中なので親の車で30分かけて連れて帰ってもらう。

 

帰りの車の中で母親が、地元で誰が亡くなったのかをつぶさに教えてくれた。隣の隣の家のおばあさんと、牧場の隣の家の人が亡くなったらしい。田舎は人が死んでいくが新たに生まれることはない。小学校の新1年生は4人らしい。

 

さらに山奥の祖父の家で農作業を手伝うときに寄っていたセブンイレブンの店主が刺されて死んだことを教えてもらったときは驚いた。身近だった店で、700円買うと引けるくじをたまにサービスしてくれた丸眼鏡のやさしいおばさん。特別親しいわけではなかったが、当たり前のようにいた人がふっと日常から消えてしまった。幽霊でさえない。

 

店舗の2階の自宅で、息子に刺されて亡くなったそうだ。痛ましい。身内が亡くなった喪失感とはまた違うからっぽがある。事件が起きたあと、すぐに店舗の看板は外されて廃業したそうだ。変わってしまった。

 

実家に帰ってくつろいだ。カレーと刺身を食べた。実家に帰ると夕食に毎回刺身が出てくる気がする。弟がタブレット端末で荒野行動をやっていた。

 

f:id:jpmpmpw:20180502030606j:image

猫には嫌われている。話しかけただけで唸り声を上げて、触ろうとすると噛み付いてパンチをされる。猫には昔からあまり好かれない。

 

f:id:jpmpmpw:20180502030741j:image

廊下に自分が中3のときに作った版画絵が飾られていた。懐かしい。上に何かを貼って剥がした跡がある。クラスで1番最初に出来上がったのを覚えている。美術資料集で見たジャクソン・ポロックのアクションペインティングに衝撃を受けて、それを真似して彫刻刀で切りつけたり叩きつけたりして彫った版画だ。絵のセンスもモチーフも中学生の俺がやりそうなものだなぁと思うが今見てもわりと気に入っている。こういう美術的なことをしたのは中学3年生のこの絵が最後かもしれない。

 

華のゴールデンウイークだ。明日は友達が車で映画に連れていってくれる。楽しみだ。山仕事もしないといけない。チェーンソーで木を切ったり、原木に椎茸のコマを打ち込む仕事がある。やることはたくさんある。不思議と満ち足りているような、そんな気がする。