わたしの26歳の誕生日

 2月17日で26歳になった。26歳か。26歳なんだな。いまだに大学を卒業した23とか24の気持ちでいるが、26歳は仕事もこなれてきて社会的責任だとかキャリアプランスキルアップとかそういうことを考える年齢になる。まだ京都の公園で仲のいい友達とふたりでマロニーを燃やして線香花火にしたい。もっともその友達はいなくなってしまい、彼が22歳のまま私のなかにいる。死んだわけではないと思うけど。もし見ていたら連絡をください。

 

誕生日は私以外には平日で、世間には関係のないカレンダーをただ上滑りする日に過ぎず、メールしている相手も私が誕生日だということは知らないので打ち合わせ中に実は私誕生日なんですと言いたくはなるがだからなんだという反応をもらうのは必須、いたたまれなくなってどうでもいい話をすみませんハハハとマスクをしているので目元だけで笑顔をつくり退散することは目に見えているので特には何もなかった。でも同僚から声をかけてもらったのはうれしかったですね。あとパソコンがぶっ壊れかけたので新しいパソコンを買ってもらった。誕生日プレゼントだ、仕事の用の備品だけど。仕事先で偶然私と同じ誕生日の人がいて、互いに祝いあった。

去年は仕事まっさかりで同僚と打ち合わせに行き、帰りにエリックサウスのカレーを食べた気がする。一昨年は有給をとってサンリオピューロランドに行ったな。ブログの記録に残しておいてよかった。

 

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誕生日はカーテンで覆われたような空にぱちんと切った爪に似た三日月が浮かび、なんだか息苦しくなった。何も変わらない閉塞感。しかし自分がその日の主役になれる誕生日はしっかり使い切らないといけない。

 

 

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仕事が終わらなかったので冷めてしまったピザを友達の家で食べる。誰かと誕生日を過ごすのは久しぶりで、うれしい。スパイシーのウルトラクリスピークラストを初めて食べたが、具のおいしさをそのまま味わえて新しい発見をした。

 

テレビを見たりYouTubeを見たりだらだらと過ごすのは楽しくて何よりとてもいい時間だった。落ちたカーテンレールを私が支えながら友人がドリルで金具を固定している、そんな不思議な誕生日だった。記憶に残る。

 

この1年は謎の伝染病が流行って、世間の生活様式が変わり、もちろん私の生活様式も社会に属す以上例外はなく、月イチで思いつきでどこかにでかけていたがそんなことはできなくなった。年がら年中病気の日のように何もできず、人がいっぱいいるところが怖いので家にこもって酒をたくさん飲むようになった。私はそこまで強迫神経ではないが、なかには潔癖な人間もいてウイルスが個々人の肌感覚をアップデートないしはより輪郭を浮かび上がらせたような気がする。そんな毎日で楽しみを探すために散歩をしたりと何かを観察しておもしろがり楽しみのステージを広げた。

やはり生活には新しく出会う人のほかに、通り過ぎる人も揺り戻ってくる人もいて、対象の行動や振る舞いに失望したり、やはりこの人はいいヤツなのだと再認識したりと自分の感情の動きも含めて変化は多かった。感動よりも失望のほうが印象深い1年である。死になさいと思っていても相手はくたばらないので、氷に熱湯を注ぐように呪いで対象を溶かしてしまいたいがそんなことをするとそいつのせいで私が一生苦しむことになるので絶対にそんなことはしない。ずっと死んだような心持ちでいるだけ。「死にたい」と「殺してやる」のあいだで、10代後半、20代前半は前者だったが今は後者で、精神は育っている。だからその推力を持ったままどこかに突き刺さる、それが許される場所はnoteやはてなブログで、7年前にはじめてブログを立ち上げたときから変わらずフラストレーションを焚き付けて文章を書いている。

 

仕事はかなり忙しいので自分の好きなことをする余裕がないが、noteで日記をほぼ毎日書いているので自由にものを書く習慣は身についてきている。noteなどを読んでいただいて、かつ反応をいただけるのはとてもうれしいことですね。この1年は何か新しいことをしたい。去年もそういうことを書いていた気がするし、生活の焦りから来るお仕着せなのかはわからないが、環境を変えることも大事だと思う。ブログは7年目になった。はてなブログはnoteとは違う使い分けをしているので、今後も何かしら書いていくつもりだ。個人でも仕事はしっかりやっていきたい。大丈夫になるようにお金がほしい。

 

去年の日記を見返すと心臓のことを書いていた。たしかに飯田橋で心臓の検査を受けたりしていたな。今日は健康診断の結果が戻ってきた。心電図コメントには変わらず早期再分極という文字が踊るので、過去に心臓の病気をやっていることもあってどうせ死ぬだろという気持ちが年々強くなっている。諦めるのではなくて、生活への向き合い方は積極的であるのでいいことではある。1年前と考えは変わっていないので過去の私を信頼している。

 

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例のごとくほしいものリストを公開させてもらった。ほしいから。

形あるものは引っ越しとかでいつか捨てて悲しくなるので飲んですっとなくなるお酒がほしい。あと本。うれしいよな。もしやさしい方々からいただけるのであれば、もらえるものはありがたくいただきたいですね。いつもありがとうございます。感謝しています。

 

晩ごはんには17日に残ったピザをレンジで温めて食べた。もう19日か。誕生日の置き土産を薄めるように大事に食べている。

 

私の好きなエッセイに「人生はドラマではないが、シーンは急に来る」というフレーズがある。人生はドラマではないことはわかりきっているしロマンスもない。これからも生活はだらだらと続いて尻尾を地面に引きずりながら生きていく。26歳でうなだれているが、間違いなく最近の私のベストシーンは誕生日に友達の家で両手をあげてカーテンレールを押さえつけていた、傍から見れば間抜けだが空間が朗らかに色づいて、お酒を飲んでだらだらすごした2021年の2月17日なのである。