サラダ味雑考


 おせんべいのサラダ味をサラダ味たらしめるものはいったいなんなのか、あんなの私に知覚できるのは塩味であってベジタブル要素を発掘できないのは私の舌に落ち度があるとかそういうことを認めたくはないけれどとにかくサラダ味とはなんなのだろうか。うすしお味が進化してお上品の衣をまとったその時おせんべいはサラダ味になるのだろうか。1度サラダ味についてきちんと考えてみる必要がある。

思うに、サラダ味というフレーバーデザインが存在するのはおせんべいという米菓の分野において特有なものなのではないだろうか。スタバの新作やハーゲンダッツのNEWフレーバーにサラダ味は顔を見せない。イマドキの新しいモノ好きの若者はサラダフレーバーをこぞって試したりはしないしサラダ味を求めて原宿に跋扈したりはしない。ましてTwitterFacebookに「サラダ味〜♡ これが1番好きかも✌︎✌︎」みたいなミミズの這い回った跡のほうが知性的であろう文章とクソみたいな自撮りを載せたりはしない。すればいいのに。だってある意味文化的だし。どうせ死ぬのに健康になろうと、またよりよい快活な状態を志向する現代人においてサラダは野菜だから、と良い言い訳になりそうなサラダ味は米菓の範疇から外に出ようとしない。どうしたサラダ味。もっと自信を持っていいんじゃないか。コンソメパンチのアグレッシブさには負けるがのりしお味とかプレーン味よりはトレンディでずっとスタイリッシュだと思うぞ。プレーン味とかわけわかんないけど。素材本来の味とかみんな大好きなんだろうきっと。


そもそもサラダとは野菜を盛り合わせたものにドレッシングなりで味付けをすることでサラダたりえる。個人的に認識しているサラダと野菜盛り合わせの違いはドレッシングによる味付けがあるかどうかだ。マンガ『美味しんぼ』のサラダ対決では海原雄山が鉢植えのトマトをサラダとか言い張ったけどそれは置いておこう。


これを踏まえるとおせんべいのサラダ味はベジタブル要素を発掘できない以上何かのドレッシング味ということに着地する。ここで新たな疑問が立ち起こるのは必然で、サラダ味たらしめるそのドレッシングは何ドレッシングなのだろう。私には塩味しか知覚できない。いや、塩味?


たしか美味しんぼのサラダ対決では野菜に塩を振っただけのものをサラダと形容していた。山岡がなにかご高説を垂れていたのだが思い出せない。そうか、俺はサラダへの味付け、ドレッシングが液体であるという固定観念を切り離すことができなかった。ドレッシングという語の濁音のビチャビチャ感からはドロドロした液体しか連想できなかったのだ。ああ、忌々しい、なにもドレッシングはビッチャビチャの液体でなくてもよい。ぱらりと振りかけた塩、それがドレッシングなのだ。ドレッシングはスペルに直すと"dressing"、お化粧という意味をも含意する。お塩のラメとはなんとも潔く、かつ神々しいことか。


ここでサラダ味についての話に戻ろう。ここまでの話で、サラダをサラダたらしめるものはドレッシングだ、という論を展開した。おせんべいのサラダ味はひと言でいえば塩味だ。これまでの議論から導き出される結論はおせんべいのサラダ味のサラダは"ドレッシングとして塩を振りかけられたサラダ"であって、おせんべいのサラダ味はそのドレッシングの塩味がサラダ味として表出したものなのだ。
ああ、すばらしい。シーザーサラダを食べたあとのボウルの底に残るクルトンのようなわだかまりが幾ばくか氷解した。だがサラダのドレッシングにも色々あるよな、と思う。フレンチドレッシング、胡麻ドレッシング、サウザンアイランドドレッシング、白いのとか茶色いのとか様々だ。仮に亀田製菓とかがサウザンアイランドドレッシング味の"サラダ味おせんべい"を発売したらサウザンアイランドドレッシングはサラダ味にという名称にとどめておくのはいささかオーバースペックな気がする。つまり私が言いたいのはおせんべいの"サラダ味"はこのままずっと塩味のままで別のドレッシングの味は登場しないだろうということだ。サラダ味は永遠にサラダ味のままであり前進も交代もせず完成された彫像としてそびえ立つ。登場したとしてもそれはサラダ味ではなくフレンチドレッシング味、サウザンアイランドドレッシング味と冠して発売されることであろう。亀田製菓とかから。


ああ、麗しのおせんべい、私はおせんべいの中ではおばあちゃんのぽたぽた焼きが1番好きだ。私が小学生の頃ぐらいには存在していた記憶があるので、あのおばあちゃんは私が20歳になった今の今までずっとおせんべいを焼き続けたことになる。あの味をコンスタントに提供し続ける辣腕おばあちゃんにも驚愕だが不満を漏らすことなくおせんべいを焼くおばあちゃんの堅忍不抜の精神力には恐れ入る。ただそのおばあちゃんの神懸かり的な所業が本人の意志に依るものでないとしたらそれはとても恐ろしいことだ。もしかしたらおばあちゃんは暗黒のおせんべい工場に幽閉され馬車馬のごとく働かされているのかもしれない。労働基準法なんかあったものではない、ああ、心配だおばあちゃん、パッケージ裏のおばあちゃんの豆知識にアナグラムで助けを求めていたりするのだろうか。もしそうだとしたらなんとも不甲斐ない。鬼気迫る一文一文を豆知識に綴るが誰にも気づいてもらえないなんて悲しすぎるではないか。そのおせんべいをアホみたいな顔でバリバリ食べていた我々はいったいなんだというのだ。ああ大丈夫かなおばあちゃん、心配で心配でアタマの中が痒い痒い痒い。